郷土かるたの歴史
日本における「かるた遊び」の歴史的なルーツをさぐっていくと、
平安時代の貴族の遊び「貝覆」(かいおおい)、「貝合わせ」にまでさかのぼれます。
はじめは一対の蛤貝を合わせるだけの単純な遊びでしたが、室町時代頃になると貝の内側に美しい模様を施した「絵貝」
や古今集などの詩歌の書かれた「歌貝」が登場しました。
歴史
いろは47文字に対応した「いろはかるた」が最も古典的で有名である。
なお、歴史的仮名遣いや字音仮名遣いに必ずしも準拠しているものではない。
ことわざを使っているが、内容は江戸、京都・大坂など上方、尾張などで各々異なっており、地方の特色が表れて、「郷土かるた」も各地に存在する。
(wikipediaより)
日本における「かるた遊び」の歴史的なルーツをさぐっていくと、
平安時代の貴族の遊び「貝覆」(かいおおい)、「貝合わせ」にまでさかのぼれます。
はじめは一対の蛤貝を合わせるだけの単純な遊びでしたが、室町時代頃になると貝の内側に美しい模様を施した「絵貝」
や古今集などの詩歌の書かれた「歌貝」が登場しました。
16世紀半ば、南蛮貿易の時代になると、ポルトガルからカルタ(南蛮カルタ)が入ってきました。
カルタの到来は日本古来の「歌貝」に大きな変化をもたらしました。これまでの貝はカード化され、呼び名も「歌かるた」となりました。
江戸時代には、詩歌以外に博物学的知識(動植物、虫類、貝類等)、歴史・地理的知識、社会知識(宮廷の調度品、武具、職業)等、 事物を視覚的に教える「絵合わせかるた」も作られました。
18世紀頃になると、これまで上流階級の文化だったかるたは、一般庶民に広まっていきます。
やがて、庶民生活の知恵であることわざを集めた「ことわざかるた」、それをいろは順に整列・改良した「いろはことわざかるた」が作られると、
かるた遊びの面白さに刺激された人々は、たくさんのバリエーションを作っていきました。
様々な種類のかるた遊びのうちの1つが、人々の身近な地域、郷土の代表的な自然、歴史、産業、文化を詠んだ「郷土かるた」だと考えられます。
これまで作られてきた「郷土かるた」の数は、日本国内で千数百程度あり、今や世界にも広められつつあります。
(NPO法人日本郷土かるた協会より)