サイプレス Vol.85
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ん付きで非常に楽しい行程となりましたが、釜石道を囲む鬱蒼とした山並みや自然の景観には驚きました。いくら道路などのインフラを整備しても、これでは過疎化の進行は止められないだろうと考えさせられてしまいました。本当に圧巻の自然風景でした。釜石駅からは今回の旅で最も楽しみにしていた三陸鉄道リアス線に乗車して大船渡を目指します。過剰に期待しすぎたのかもしれませんが、非常にトンネルが多いうえ雨のため視界も悪く、日本三景の松島も良く見えず、少々イメージと異なりました。車掌さんの説明も聞き取り難かった・・・リアス式海岸なので小さな入り江と集落が多くあり、テレビで取り上げられている大きな街以外にも、津波の被害を受けている場所が数多くあるのだということが印象として残りました。大船渡から再びバスに乗り、途中昼食をとった後、死者1597人、行方不明者216と岩手県で最も大きな被害を受けた陸前高田市へ向かいました。市街地は文字通り「壊滅」であり一部建物の残骸を除き何も残っていません。ここに2万人を超える人々の生活があったかと思うと本当に戦慄する思いです。現在は、集落ごと高台に移転するという計画のもと、切り崩した土砂を運ぶためのベルトコンベアが山から延々と伸び、多くのダンプカーが市内を行き交うなど、本格的な復興事業が始まっています。高台への移転は5年後から可能になる見込みですが、陸前高田市に戻りたいという住民は年々減ってきており、もとの規模に戻るのは難しいと語り部さんは危惧されていました。良く言われていますが、もともと過疎傾向にある地域だけに、産業・観光振興による雇用促進施策が復興の鍵になると改めて感じました。尚、語り部さんの熱が入りすぎてスケジュールが押し、残念なことに「奇跡の一本松」は遠くバスの車窓から眺めるのみとなってしまいました・・・あわただしく陸前高田市を離れ、気仙沼市の海の市で“福幸”した後、一ノ関駅から新幹線で大宮駅に戻りました。東日本大震災が発生した2011年(平成23年)3月11日は当社が東証二部に上場した日であり、私は余震のなか東証で記者会見等の対応を行った後、帰宅難民となりました。その後、通勤電車が動かず出社できなかったことを未だ上司にからかわれたり、計画停電のなか凍えながら食事をとったり、給油のためガソリンスタンドに5時間並んだり、会社が手配してくれたバスで通勤したりといった事々も、半ば左程悪くもない想い出となりつつありますが、今回の視察で被災地の現状を目の当たりにし、また福島第一原発の問題も何ら解決していないことを合わせて考え、事の重大さを認識し直す機会となりました。微力ではありますが、今後も家族で“福幸”の支援を継続していきたいと思います。最後に、ご一緒させて頂いた皆様には大変お世話になり、有難うございました。以上23vol.85

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