当地の領主であったといわれている春日部重行公は、元弘の乱(1331)に参加し、滝口左衛門尉という役職に任じられました。延元元年(1336)、足利尊氏京都侵入により、天皇警護のため、新田義貞、名和長年らの武将とともに尊氏軍と交戦しましたが敗れ、京都で自決したといわれています。この遺骨が最勝院に葬られているといわれています。
おはかが、いっぱいあって、こわかったです。
大きな木は、おはかの入口に入ってから見えます。   
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