呑龍上人は、一五五六年に一ノ割円福寺前の武州岩槻城主の家臣の家に生まれました。幼少から秀才で、後に群馬県太田の大光院の開山僧として招かれました。修行中呑龍は、生活苦による堕胎や幼児殺しがあることを知り説法して歩くと同時に貧しい子を弟子として養育しました。その慈悲深い心と愛育精神は今も名高く子育て呑龍と呼ばれるゆえんとなっています。
とても幻想的で素敵でした。建物が指定文化財ということもあり、色あざやかできれいでした。また休日来てみたくなる場所です。     
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